慢性疼痛を抱える患者が「どうせ良くならない」と治療への意欲を失い、運動や日常活動を避け続けるのを目の当たりにしたとき、治療家はしばしば身体的アプローチの限界を感じます。組織の損傷が軽微であっても痛みが長引く患者の背景に、心理・認知的要因が大きく関与していることは今日のペインサイエンスでは広く認識されています。なかでも注目されているのが「自己効力感(self-efficacy)」という概念です。心理学者アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)が1977年に提唱したこの概念は、「自分は特定の課題を遂行できる」という信念を指し、慢性疼痛患者の機能障害・回避行動・治療応答に深く関わることが複数の研究で示されています。本稿では、Bandura理論の骨格を整理したうえで、慢性疼痛領域への応用研究を概観し、臨床実践における示唆を考察します。
Banduraの自己効力感理論——その構造と4つの情報源
アルバート・バンデューラは1977年に発表した論文「自己効力感:行動変容の統一理論に向けて(Self-efficacy: Toward a unifying theory of behavioral change)」(Bandura, 1977, Psychological Review, 84(2))において、自己効力感の概念を体系的に提示しました。バンデューラは行動変容の鍵を「結果期待(outcome expectancy)」と「効力期待(efficacy expectancy)」の二層に分け、後者——「自分はその行動を遂行できる」という確信——こそが行動の開始・持続・困難下での粘り強さを決定すると論じました。結果期待は「その行動をすれば良い結果が得られる」という予測であり、効力期待は「その行動を自分が実際に行える」という自己評価です。この区別は臨床的に重要で、治療家が「運動は良いですよ(結果期待への働きかけ)」と伝えるだけでは不十分で、「あなたにはできます(効力期待への働きかけ)」という次元の介入が必要であることを示唆します。
バンデューラの理論において自己効力感の形成に寄与する情報源は4つに整理されています。第一は**遂行体験(mastery experience)**です。実際に課題を成功裏にやり遂げた経験は、自己効力感を高める最も強力な情報源とされています。慢性疼痛の文脈では、段階的な活動量増加(graded activity)プログラムにおける小さな成功体験の積み重ねがこれに相当します。一度成功体験を積むと、次回の試みに対する自信が増し、さらに高い課題への挑戦が可能になるという正のスパイラルが生じます。
第二は**代理体験(vicarious experience)です。自分と類似した他者が目標を達成する場面を観察することで「自分にもできる」という信念が強化されます。同様の痛みを抱える患者のグループプログラムが有効とされる一因はここにあります。「あの人も慢性腰痛がありながら仕事に復帰できた」という情報は、観察者の自己効力感を高める代理体験として機能します。第三は言語的説得(verbal persuasion)**です。治療家が患者に対して「あなたはできる」「活動しても構造に害はない」と根拠を示しながら伝えることがこれに当たります。ペイン・ニューロサイエンス・エデュケーション(PNE)における痛みの再解釈——「痛みは必ずしも組織損傷を意味しない」——も広義にこれに含まれます。単なる励ましではなく、科学的根拠を伴う説明が言語的説得の効果を高めます。
第四は**生理的・感情的状態(physiological and affective states)**です。恐怖・不安・破局的思考が高まると身体感覚を脅威として解釈しやすくなり、自己効力感が低下します。逆に安心感やリラクゼーションは効力感の維持を助けます。慢性疼痛患者が痛みを感じると「また悪化した」と解釈して不安が高まり、さらに痛みへの感受性が上がるというサイクルは、この生理的・感情的状態が効力感に与える影響の典型例です。
図1: Bandura(1977)が整理した自己効力感の4つの情報源。遂行体験(直接の成功経験)が最も強い影響をもち、代理体験・言語的説得・生理的/感情的状態がそれを補完する。
これら4つの情報源は相互に影響し合い、自己効力感の高低が次の行動選択を規定し、その結果がまた遂行体験として効力感に帰還するという循環構造をなしています。バンデューラ自身も後年の著作(Bandura, 1997, Self-Efficacy: The Exercise of Control, W.H. Freeman)において、慢性疾患管理への応用を論じ、スタンフォード大学のケイト・ロリグ(Kate Lorig)らとの共同研究で、患者自己管理教育が自己効力感を高め、それが疼痛・疲労・機能障害の改善を媒介する経路を実証的に確認しています。この知見は後述する疾患自己管理プログラムの理論的根拠となっています。
慢性疼痛患者の典型的なパターンを考えると、「動くと痛い(遂行体験の失敗)→怖くて動けない(感情的状態の悪化)→他者も動けないと言っている(代理体験の負の影響)→医療者から安静を勧められる(言語的説得の誤用)」という4つの情報源すべてが効力感を低下させる方向に働きうることがわかります。治療的介入はこの逆向き——4つの情報源をすべて効力感を高める方向に切り替える——として設計できます。
疼痛自己効力感の測定——PSEQの開発と臨床的意義
自己効力感は一般的な特性として捉えるだけでなく、特定の課題領域に特化した測定が精度を高めます。慢性疼痛の文脈では、**疼痛自己効力感質問票(Pain Self-Efficacy Questionnaire: PSEQ)**が最も広く使用されている評価ツールです。オーストラリアの疼痛心理学者マイケル・ニコラス(Michael K. Nicholas)は、慢性疼痛患者が「痛みがあっても自分は〜できる」という信念を定量化する必要性に着目し、2007年にEuropean Journal of Pain誌にPSEQの開発・妥当性研究を発表しました(Nicholas, 2007, European Journal of Pain, 11(2))。
PSEQは10項目から構成され、「痛みがあっても、軽い家事をすることができる」「痛みがあっても、ある程度は社会活動に参加できる」など、活動遂行に関する自己効力感を0(まったく確信できない)から6(完全に確信できる)の7件法で評価します。総得点は0〜60点で、高得点ほど疼痛自己効力感が高いことを示します。ニコラスは慢性腰背部痛患者を対象とした研究で、PSEQスコアが痛みの強度そのものよりも、機能障害・心理的苦痛・治療アウトカムをより強く予測することを示しました。
PSEQの重要な特徴は、単に疼痛のコントロール感を測るのではなく、痛みの存在を前提としたうえでの機能的自己効力感を評価する点にあります。これは慢性疼痛治療において、「痛みをゼロにする」という目標ではなく、「痛みがあっても生活機能を維持・向上させる」というリカバリー志向の目標設定と整合しています。10項目すべてが「痛みがあっても(despite the pain)」という前置きを持つことは、痛みがゼロにならなくても機能的な生活は可能であるというメッセージを評価ツール自体が体現しているとも言えます。
ニコラスの研究では、PSEQスコアは疼痛の視覚的アナログスケール(VAS)得点と有意だが中等度の負の相関(r ≈ −0.38)を示しました。この相関の大きさは、両者が概念的に重複しつつも統計的に独立した構成概念であることを意味します。また、機能障害指数(ODI)との相関はさらに高く(r ≈ −0.60前後)、自己効力感と機能的アウトカムの密接な関連を示しています。PSEQスコアは治療前の予後予測因子として有用であり、スコアが高い患者ほど認知行動療法的介入への応答が良好であることが示されています。さらに、PSEQはその後の研究で再現性・感度(治療変化への応答性)も確認され、現在では多くの慢性疼痛管理プログラムの評価指標として採用されています。
PSEQスコアの解釈において、ニコラスはスコアが概ね17点未満を「低自己効力感(高い障害リスク)」、38点以上を「高自己効力感(良好な機能維持)」の目安として提示しています。臨床的には、初診時のPSEQスコアが介入の強度・種類の選択指針となりうることが示唆されており、スコアが低い患者には自己効力感の向上を主目的とした心理教育的アプローチの優先度が高まります。
図2: PSEQスコアと各臨床アウトカムの関係(模式図)。機能障害・心理的苦痛はPSEQとより強い負の関連を示し、疼痛強度よりも予測力が高い。17点・38点が臨床上の参照点とされる。
PSEQの日本語版も信頼性・妥当性が検討されており、慢性腰背部痛患者に対する臨床評価として国内でも活用され始めています。治療家がPSEQを臨床に取り入れることで、「どのくらい痛いか」だけでなく「どのくらい活動できると思っているか」という認知的側面を数値化でき、介入の焦点を明確にする助けになります。初診時・介入中・終了時の3時点で計測することで、身体機能の改善と自己効力感の変化の関係を追跡できます。
自己効力感と慢性疼痛——研究知見の概観
Banduraの理論が提唱された後、慢性疼痛研究者たちは自己効力感と疼痛関連変数の関係を実証的に検討してきました。横断研究・縦断研究・介入研究が蓄積された結果、自己効力感が慢性疼痛患者の機能的アウトカムを予測する上で重要な心理社会的変数であることが示されてきました。
ターク(Dennis C. Turk)とオキフジ(Akiko Okifuji)はバイオサイコソーシャル(生物心理社会)モデルの立場から慢性疼痛における心理的要因の役割を系統的に整理し、自己効力感が疼痛の知覚強度だけでなく、痛みに対する感情反応・行動反応・機能的障害を媒介することを強調しました(Turk & Okifuji, 2002, Journal of Consulting and Clinical Psychology, 70(3))。この枠組みでは、同じ組織損傷を持つ患者が異なる障害レベルを示す理由として、自己効力感の差異が重要な説明変数の一つとなります。「なぜAさんは軽傷でも長期休業し、Bさんは重度の変形性膝関節症でも働き続けられるのか」という臨床的疑問に、自己効力感の差異は一つの解答を与えます。
キーフェ(Francis J. Keefe)らは、慢性疼痛患者のコーピング戦略の研究において、疼痛自己効力感が積極的コーピング(痛みと共存しながら活動を継続する行動)と正の相関を示し、カタストロファイジング(破局的思考:「痛みがひどくなる一方だ」「何をしても無駄だ」という認知)と有意な負の相関を示すことを報告しました(Keefe et al., 2004, Journal of Pain, 5(4))。すなわち、疼痛自己効力感の高い患者は破局的解釈に陥りにくく、活動への参加を維持しやすい傾向があります。キーフェらはこの関係が関節リウマチ・変形性関節症・慢性腰背部痛など複数の慢性疼痛疾患に共通して観察されることも示しており、自己効力感の保護的機能がある程度疾患横断的であることを示唆しています。
縦断研究の観点からは、ベースライン時の疼痛自己効力感が6〜12ヶ月後の機能障害・就労状況・生活の質(QOL)を予測する変数として機能することが複数の研究で確認されています。特に重要なのは、自己効力感が疼痛強度・破局的思考・恐怖回避信念という他の心理社会的変数の影響を統計的にコントロールしても、独立した予測力を持つことが示されている点です。このことは、自己効力感が他変数の代理指標ではなく、独自の説明力を持つ構成概念であることを意味します。
恐怖回避モデルで著名なヴラエイエン(Johan W.S. Vlaeyen)とリントン(Steven J. Linton)は、慢性筋骨格系疼痛における恐怖回避の帰結として身体活動の制限と廃用が生じ、さらに再損傷への恐怖と自己効力感の低下が悪循環を形成すると論じています(Vlaeyen & Linton, 2000, Pain, 85(3))。この恐怖回避モデルの中で、自己効力感は回避行動の維持あるいは打破を決定する重要な認知的変数として位置づけられます。低い自己効力感は「活動すれば痛みが増す・再損傷する」という予測を強め、回避行動を継続させます。一方、自己効力感が高まると「試してみよう」という動機が生まれ、段階的な活動参加が可能になります。
図3: 自己効力感の低下が引き起こす慢性疼痛の悪循環モデル。疼痛体験が効力感を低下させ、回避行動・廃用・不安・破局的思考が互いを強化しながら疼痛の慢性化を促進する。
このような悪循環を理解することは、治療目標の設定に直接影響します。「痛みを取る」ことを唯一の目標にすると、自己効力感の低下という根幹的な問題は未解決のまま残ります。対照的に、「痛みがあっても活動できるという確信を育てる」という目標設定は、循環の中の自己効力感という節点に直接介入することを意味します。このアプローチは次節で述べる認知行動療法的介入の基盤となっています。
研究の限界として、慢性疼痛における自己効力感研究の多くは横断デザインを採用しており、因果関係の方向性については縦断的証拠がさらに必要とされています。自己効力感の低下が慢性疼痛を引き起こすのか、慢性疼痛が自己効力感を低下させるのか、あるいは第三の変数(抑うつ・社会的孤立など)が双方を同時に低下させるのかについては、現時点では断定できません。しかしながら、介入研究において自己効力感の向上と機能的アウトカムの改善が同期するという観察は、少なくとも自己効力感が介入可能な治療標的であることを強く示唆しています。
自己効力感を高める介入——認知行動療法と疾患自己管理教育プログラム
自己効力感を治療標的とした介入のなかで、最も体系化・研究が進んでいるのが**認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy: CBT)**です。慢性疼痛に対するCBTは、疼痛の認知的評価(「この痛みは危険だ」「活動すれば悪化する」という信念)の修正と、回避行動の段階的減少を通じて、疼痛自己効力感の向上を図ります。CBTの基本的な技法としては、認知再構成(catastrophizing な思考パターンを同定し現実的な評価に置き換える)、漸進的筋弛緩法や腹式呼吸(生理的・感情的状態を安定させ効力感を維持する)、活動ペーシング(疼痛に振り回されず一定のペースで活動する計画立案)、行動実験(「動くと痛みが増す」という予測が実際に正しいか試してみる)などが含まれます。
スタンフォード大学のケイト・ロリグ(Kate Lorig)とハルステッド・ホルマン(Halsted Holman)が開発した**慢性疾患自己管理プログラム(Chronic Disease Self-Management Program: CDSMP)**は、自己効力感理論を明示的に応用した集団介入プログラムとして世界的に普及しています(Lorig & Holman, 2003, Annals of Behavioral Medicine, 26(1))。CDSMPは6週間・週1回の集団セッションで構成され、疾患知識の提供だけでなく、問題解決、目標設定、自己モニタリング、コミュニケーション技法を通じて患者の自己管理能力と自己効力感を高めることを主目的とします。
ロリグらがCDSMPの有効性を評価した研究では、疼痛・疲労・機能障害・医療機関受診頻度・健康関連QOLが参加後に有意な改善を示したと報告されています。特に注目されるのは、CDSMPによる自己効力感の向上が、疼痛・疲労・医療機関受診頻度の改善を統計的に媒介することが確認されている点です。すなわち、プログラムの有効性の経路として「自己効力感の向上」が中間変数として機能するというバンデューラの仮説が支持されました。この発見は、自己管理教育プログラムが単に知識を増やすのではなく、「自分にはできる」という信念を育てることで健康行動の変化をもたらすというメカニズムを実証したものとして高く評価されています。
CBT介入の効果の一般化可能性については、いくつかの限界も指摘されています。第一に、多くの研究が欧米の成人慢性腰背部痛患者を対象としており、日本の臨床文化・患者特性への直接適用には慎重さが必要です。第二に、CBTの効果はセラピストのスキルや患者のモチベーションに依存する部分が大きく、プロトコルの均質化が難しいという実施上の課題があります。第三に、短期アウトカムでは効果が確認されても12ヶ月以上の長期追跡では効果の減衰が観察される研究もあり、維持プログラムの設計が今後の課題です。
図4: CBTによる自己効力感向上の介入フロー。評価・心理教育・認知再構成・行動実験・遂行体験の蓄積というサイクルを通じて効力感が高まり、機能障害の軽減につながる。
グループ形式と個別形式のどちらが有効かについては、両形式で自己効力感の向上が観察されていますが、グループ形式には代理体験(同様の悩みを持つ他患者の回復を目撃する)というバンデューラが重視した情報源を活用できる利点があります。また、グループ形式は費用対効果の観点からも有利であることが多く、医療資源の制約がある現場での実施可能性が高まります。
自己効力感の神経生理学的背景——下行性疼痛調節系との接点
自己効力感が疼痛体験を調節するメカニズムとして、神経科学的観点からのアプローチも近年注目されています。特に重要なのが**下行性疼痛調節系(descending pain modulation system)との関係です。脳幹の水道周囲灰白質(periaqueductal gray: PAG)**を中心とする下行性抑制経路は、前頭前皮質(prefrontal cortex)や扁桃体(amygdala)からの入力を受けて脊髄後角での侵害情報処理を調節します。この経路を通じて、認知的・感情的状態が痛みの知覚強度に影響を与えるという神経基盤が存在します。
自己効力感と神経科学を橋渡しする文脈では、**条件付け疼痛調節(Conditioned Pain Modulation: CPM)**という実験的評価法が注目されます。CPMは、ある侵害刺激が別の侵害刺激の知覚を抑制するという内因性疼痛抑制機能を評価するもので、慢性疼痛患者ではこの機能が低下(機能不全)していることが知られています。心理社会的変数が内因性疼痛抑制機能に影響を与えるという観点から、自己効力感の高さがCPM効率と関連するという仮説が提唱されており、研究者の関心を集めています。具体的には、自己効力感が高い患者は前頭前皮質からPAGへの下行性制御入力がより効率的に機能しやすい可能性が示唆されていますが、この関係を直接検証した研究はまだ数が限られており、現時点では仮説的な段階と捉えるべきです。
プラセボ研究との接点も重要です。プラセボ鎮痛効果は内因性オピオイド系・エンドカンナビノイド系の活性化を介して生じることが動物モデルおよびヒト研究で示されており(Traceyらの研究群による)、この効果は期待感・条件付けという認知的要因によって大きく修飾されます。自己効力感は「自分は痛みを管理できる」という期待感と密接に関連しており、治療効果への期待を介して内因性鎮痛系の活性化に寄与する経路が想定されます。
ストレス反応の神経内分泌経路との関係も無視できません。自己効力感が低い状態では、脅威評価が高まり視床下部—下垂体—副腎皮質(HPA)軸の過活性が生じやすくなります。HPA軸の慢性的活性化はコルチゾールの持続的高値をもたらし、これが炎症性サイトカインの産生、睡眠の質の低下、さらには中枢感作(central sensitization)の促進に関与する可能性が指摘されています。この経路を通じて、自己効力感の低下は神経生理学的に疼痛感受性を高める方向に作用しうるというメカニズムが示唆されます。ただし、この一連の連鎖を慢性疼痛患者で直接実証した縦断的な生物学的研究はまだ十分ではなく、より精緻な研究デザインによる検証が必要です。
図5: 自己効力感と下行性疼痛調節系の接点(仮説モデル)。前頭前皮質の認知的評価(高い自己効力感)がPAGへの下行性抑制を強化し、脊髄後角での侵害情報処理を調節する経路が想定される。現時点では仮説的モデルであり、直接実証は限定的。
認知的変数が疼痛神経生理学に影響する経路のうち、プラセボ効果の研究から得られた知見は特に豊富です。患者が「この治療は効く」という期待を持つとき、内因性鎮痛系が活性化されることは複数の研究で示されています。自己効力感は「自分はこの状況を管理できる」という期待の一形態であり、治療家との良好な治療的同盟(therapeutic alliance)の文脈の中で、患者の自己効力感が育まれると同時に内因性鎮痛機能が最大化される可能性があります。この神経生理学的背景は、「セラピストの言葉が痛みに直接影響する」という臨床経験を科学的に裏付ける根拠の一つとなりえます。
臨床への示唆——自己効力感の視点が治療を変えるとき
ここまでのレビューを踏まえ、治療家の日常臨床でどのような視点の転換が可能かを整理します。
評価の視点:「痛みの強さ」だけでなく「できる感」を測る
慢性疼痛患者の初診において、VASやNRSによる疼痛強度の評価に加えて、PSEQなどの疼痛自己効力感評価を組み込むことを検討する価値があります。PSEQが10点台の患者には、身体的介入の前に心理教育と自己効力感の向上を優先させる設計が有効かもしれません。逆に、PSEQが比較的高い患者は、「痛みがあっても動こう」という動機は十分あるが方法を知らないという状況にある可能性があり、具体的な活動方法の指導(活動ペーシング、段階的な運動負荷増加)が次の一手になります。
評価ツールを使わない場合でも、以下のような問いかけが患者の自己効力感のレベルを把握するのに役立ちます。「痛みがある日でも、軽い散歩なら続けられると思いますか?」「もし痛みが少し増えたとしても、自分でコントロールできると思いますか?」これらの回答のトーンから、患者の効力感の高低を大まかに推測することができます。
言語的介入:「言葉」は治療行為である
バンデューラの理論は、治療家の言葉そのものが自己効力感への介入であることを示唆します。「無理しないでください」「痛ければ休んでください」という表現は、意図せず「活動は危険」というメッセージを伝え、自己効力感を低下させる可能性があります。代わりに「この程度の活動なら体への害はありません」「痛みが増えても、それは組織の損傷ではなく神経の過敏さのサインです」という言語的説得は、患者の効力感を守る方向に働きます。
もちろん、根拠のない励ましは逆効果になりえます。患者が「なぜ活動しても大丈夫なのか」を理解したうえで動けるよう、痛みの神経科学的説明を簡潔に添えることが言語的説得の質を高めます。「この筋肉は弱っているから無理しないで」という説明よりも「慢性腰痛のほとんどは活動で構造が悪化することはなく、段階的な運動が機能を回復させます」という説明の方が、患者の自己効力感を維持する可能性が高くなります。
目標設定:「痛みをゼロに」ではなく「痛みと共に生きる力」へ
自己効力感理論の臨床応用として最も重要な視点転換のひとつは、治療目標の再設定です。慢性疼痛において「痛みを完全になくす」という目標は達成困難であることが多く、目標未達成の繰り返しが自己効力感をさらに低下させる悪循環を生むことがあります。対照的に、「痛みがあっても買い物に行ける」「痛みがあっても10分は歩ける」という機能的目標の設定は、達成可能な遂行体験を積み重ねる土台となります。
この考え方は「受容とコミットメントセラピー(ACT)」にも通じており、痛みの消失ではなく価値ある活動への参加という目標がリハビリテーションの方向性を根本的に変えます。治療家が痛みを「取り除くべき敵」ではなく「共存すべき信号」として枠組みし直すことで、患者の自己効力感——「この痛みがあっても、自分は大切なことができる」——を育てる治療関係が生まれます。
遂行体験の設計:「できた」体験を意図的に作る
段階的な課題設定(graded task assignment)は認知行動療法の基本技法のひとつですが、これをバンデューラの遂行体験という観点から解釈しなおすと、治療家の役割がより明確になります。治療家は「成功体験の設計者」として、患者が確実に「できた」と感じられる課題難易度を見極め、その成功体験を意識的に振り返らせる(「今日これができましたね」という反省的対話)ことで遂行体験の効果を最大化します。
同様に、グループリハビリテーションや同疾患患者同士の交流の場を提供することは、代理体験の機会を作ることを意味します。「自分と似た状況の人が回復に向かっている」という観察は、孤立した個別リハビリでは得られない自己効力感向上の源泉となります。
図6: 自己効力感を高める好循環モデル。治療家の働きかけ(言語的説得・目標設定・PNE)が自己効力感を高め、活動参加・遂行体験の蓄積・機能改善・恐怖軽減が互いを強化しながら好循環を形成する。
まとめ
自己効力感は、「自分は特定の課題を遂行できる」という信念としてバンデューラが1977年に体系化した概念であり、慢性疼痛領域における研究の蓄積はこの概念の臨床的重要性を着実に支持しています。疼痛自己効力感質問票(PSEQ)というツールの開発(Nicholas, 2007)により、この概念は臨床で測定・追跡可能な指標となりました。複数の研究が、PSEQスコアが疼痛強度よりも機能的アウトカムを強く予測することを示しており、自己効力感が「疼痛管理の核心的変数」であることを支持しています。
介入研究においては、認知行動療法と疾患自己管理教育プログラム(Lorig & Holman, 2003)が自己効力感を有意に向上させ、その向上が機能改善のメカニズム的な媒介変数として機能することが示されています。神経生理学的には、前頭前皮質—PAG経路を介した下行性疼痛調節系への影響が示唆されており、認知的変数が疼痛知覚に直接作用する可能性が提唱されていますが、この経路の直接的実証はなお限定的です。
治療家への実践的示唆としては、(1)PSEQを用いた自己効力感の系統的評価、(2)言語的介入の意識的な最適化(患者の効力感を守る・育てる言葉の選択)、(3)「痛みをゼロにする」から「痛みと共に機能を維持する」への目標転換、(4)段階的な遂行体験の設計という4点が挙げられます。
慢性疼痛の複雑性を考えると、自己効力感は多要因モデルの中の一変数に過ぎず、それだけで疼痛管理のすべてを説明できるわけではありません。しかし、身体的アプローチと心理社会的アプローチの橋渡しとして自己効力感という概念を意識することで、「なぜあの患者はよくなるのか」「なぜこの患者は回避から抜け出せないのか」という臨床的疑問への一つの解答の視座が開かれます。エビデンスベースの疼痛管理が進む現代において、Banduraの理論が提供するこの視角は、治療家の臨床観をより立体的なものへと広げてくれるでしょう。
参考文献
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- Bandura A. (1997). Self-Efficacy: The Exercise of Control. New York: W.H. Freeman and Company.
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